淡谷のりこさんは日本のシャンソン界の先駆者と言われ、「ブルースの女王」という愛称で親しまれていた歌手。
晩年はモノマネ番組の印象が強いですが、淡谷のりこさんは若い頃から活躍され、数々の代表曲や受賞歴があります。
そんな淡谷さんは2023年後期のNHK朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデルになっていることから、どんな歌手だったのか夫や子供さんはいたのかが気になります。
今回は淡谷のりこさんの若い頃についてやご家族や子供、歌手についてのエピソードなどを調査しました。
淡谷のりこの若い頃?美人でどんな歌手だった?
淡谷のりこさんは1907年生まれで、1999年に92歳でお亡くなりになりましたが、若い頃は歌手ではなく音楽の先生になりたいと考えていたそうです。
出生地である青森県から上京し、東洋音楽学校へ入学後、先生やモデルを務めていた画家の支えがあり、声楽科をトップの成績で卒業。
当初はクラッシック歌手としての道を進むことを希望し、「10年に一人のソプラノ」と称賛されていましたが、稼いでいくことができず世の中で流行する曲を歌うようになります。
しかし当時の時代背景もあり、クラッシックを学び成績優秀者として卒業した淡谷さんが流行歌を歌ったことを非難され、母校である東洋音楽学校の卒業名簿から名前が消されてしまうことに。
1931年に日本コロムビアへ移籍してからは「私此頃憂鬱よ」、シャンソン曲「ドンニャ・マリキータ」をヒットさせ、日本のシャンソン歌手の第1号となります。
そして1937年には自身最大のヒット曲「別れのブルース」のリリースにより大スターとなり、クールな色気を放つ魅力的ある歌手として知られるようになりました。
日本とアメリカが戦争中には淡谷さんの歌は全て放送禁止となり、歌うことすら禁じられたのですが、兵士から熱望により「別れのブルース」を歌唱したというエピソードも。
戦時中から戦後も活躍を続け、1953年には「第4回NHK紅白歌合戦」に初出場でありながら、紅組のトリを務め、この頃からテレビのオーディション番組の審査員やバラエティ番組に出演し、辛口の発言で人気を集めます。
晩年もテレビやコンサートで精力的に活動を続けていたようで、歌への情熱が感じられますね。
淡谷のりこの家族/夫子供は?
戦時中から歌手として歌い続け、そして晩年はバラエティ番組にも出演していた淡谷のりこさん。
プライベートな事はあまり発言されてはいないようですが、当時バックバンドのメンバーだった和田肇さんという方と1931年に結婚されています。
和田肇さんはジャズピアニストとしてバンドメンバーを務めていましたが、結婚生活は長くは続かず1995年に離婚。
お二人の間にお子さんは生まれなかったようですが、実は淡谷さんには娘さんが一人いて、未婚の状態で母親になられたようです。
娘さんは1938年に生まれていますが、それ以外の情報はなく、また父親についても一切明かしていません。
淡谷のりこさんが男性を選ぶ基準は中身より容貌で、外見が美しければそれでいいという考えだったそうで、娘さんの父親も本気で好きになった相手で、その彼は娘が出来た事も知らずに中国で亡くなったと話されています。
淡谷のりこのエピソードは?
淡谷のりこさんには色々なエピソードがありますが、有名なものをご紹介すると、
東洋音楽学校では最初ピアノ科へ入学していますが、授業で歌ったことがきっかけで声楽科へ編入するよう先生から薦められたそうです。
歌手としての素質に気づいた先生にも驚きますが、それだけの魅力があったという事でしょう。
また、実家が貧しく絵画の裸婦モデルを務めて生活費を稼いでいた時代もあったそう。
しかしその画家たちの中には淡谷さんの貧困を心配してくれる方もおり、学費を援助してくれたそうです。
淡谷さんには軍歌が嫌いで演歌も大嫌いというエピソードもあり、戦争のことを思い出してしまうからという理由もあるのかもしれませんね。
また美空ひばりさんとは、淡谷のりこさんのステージの前座でモノマネを披露したことで、ステージをめちゃくちゃにされたと怒ったこともあるそうで、不仲説もありました。
他にはモノマネタレントのコロッケさんはお気に入りで、淡谷のりこさんが亡くなった後、モノマネを自粛していたコロッケさんに淡谷さんの妹さんから「是非モノマネをしてください、若い人にも伝えて欲しい」と言われたというエピソードもあります。
コロッケさんといえば、よく淡谷さんにモノマネ後叱られていた印象がありますが、気に入ったモノマネを披露した時には淡谷さんは普段とは違う満面の笑みで喜んでいた姿が懐かしいですね。
このように様々なエピソードがありますが、淡谷のりこさんは強い信念があり、それを曲げない強さがあった女性だったと感じますね。
淡谷のりこの若い頃や家族/夫子供は?どんな歌手だった?まとめ
淡谷のりこさんの若い頃は妖艶な雰囲気のある美人で、1931年にジャズピアニストの和田肇さんと結婚されますが、1935年に離婚されています。
また和田さん以外の男性との間に娘さんが生まれているようですが、娘さんや父親については謎に包まれてたままです。
80歳を越えても歌手活動を続けられ、生涯現役と言える活躍をされました。
2023年後期のNHK朝ドラ「ブギウギ」では戦後のスター・笠置シヅ子さんをモデルに描かれますが、そこに淡谷のりこさんをモデルにした”りつ子”役で菊地凛子さんが出演します。
淡谷のりこさんの若かりし頃が描かれるでしょうし、楽しみな作品となりそうですね。